西口プロレスとの出会い
15年前、お笑い団体の西口プロレスが団体として南新宿で産声をあげた頃、
時を同じくしてひっそりと一人の女性も、カメラマンとして誕生していました。
運命のいたずらか、はたまた必然か、
両者はほどなく板橋産文ホール(現・グリーンホール)で出会うことに。
「プロレスの方ですか?だったら写真撮りたいんですけど」
と申し出る世間知らずのカメラマンに
「あ、プロレスっていうか、プロレスじゃないんだけど、プロレス・・・っちゃープロレス・・・なんですけど」
となんとも歯切れの悪い返答を返す当時の西口プロレス社長・神風健三郎(後にすぐ解任される)
「なんかわかんないけど、撮らしてください」
これから始まる長い付き合いに人知れずゴングがなった瞬間でした。
ブルーシートでガサつくリング、試合の途中で始まるコント、
最後的に裸推し、方向性の違いから勃発する殴り合い、毎回欠かさない打ち上げ、いじらしい領収書作戦。
「これ、なに?」
困惑の中で先を見据える余裕もないままに、
ただ好奇心と野心を燃料に日々を紡いで走ってきました。
気づけばお互い、当時の形を変えないままに15年の歳月が経ちました。
生き残る?
続けただけ?
認められた?
誰かの人生を15年間撮影し続けることはそうそうないと思います。
それだけ、いつも芸人らしく笑い飛ばして前を向いてきた彼らと
カメラマンという生き方がリンクしていたのかもしれません。
私のカメラマン人生には、いつも月に一度西口プロレスがいました。
この写真展の次の週には西口プロレスは16周年に突入します。
もちろんカメラマンとしての私も同じくです。
何か、キリの良い、この15という数字のうちに、形にしてみたいと衝動に駆られました。
もしかしたら、出演者のアラフォー率にドン引きしたからかもしれません。
後はないぞ、と・・・。
ともかく。
この写真展は、
そんなお笑い集団「西口プロレス」と私「カメラマン 宮木和佳子」の密やかで壮大なる「15年間1本勝負」の試合記録です。
是非来年2月は空けておいてください。
西口プロレスとの出会い
西口プロレスとの出会い
宮木和佳子(写真家・リングカメラマン)
女流カメラマン。
福岡県出身 日本大学芸術学部写真学科卒業
学生時代に、プロレスの写真に興味を抱き、そのままリングサイドへ。
日本に2人しかいない女性のリングカメラマンとなる。
デスマッチ団体「大日本プロレス」ではオフィシャルカメラマンを2年弱務める。
その他、撮影団体は15を超える。卒業時、プロレス試合の組み写真で、
「金丸茂嶺賞」を受賞。
同作品で、2002年、恵比寿のガーデンプレイスにて行われた
「日韓共同開催 若手カメラマン ON&OFF]
では、若手カメラマン50人に選ばれ、日大芸術学部写真学科教授による推薦で展示。
また、2008年、1月、西麻布にて、プロレス作品を集めた初の個展を行う。
2004年よりグラビアカメラマンに、アシスタントとして師事。
これまでのスポーツ写真より多くの技術を学ぶべく、3年のアシスタントを経て
モデル撮影、広告、グラビアなどを学び、主な撮影ジャンルはプロレスより、
雑誌、広告、ファッションなどの人物撮影へと移行。
アパレルビジュアルイメージ撮影、写真集出版、など活躍の場所を広げる。
㈲アット・ウィルにカメラマンとして在籍しつつ、
2008年11月に株式会社ミニーナを立ち上げ、ミニーナでは代表取締役を勤める。
2011年、ミニーナ、アットウィルを退社し、完全独立。
フリーランスカメラマンとして勢力的に撮影をする傍ら、
2011より個人的にカメラ講座を開講。
「楽しい一眼レフ」をモットーに何も知らない人に一眼レフを教えるカメラ講習会を不定期開催。
2012年夏ごろより、美容師をターゲットにipadと連動した営業プロモーションのための写真講座がZELEネットワーク内で正式決定し
2014年には、社団法人日本アート教育振興会と共に、「アートで豊かな人生を」をテーマに
カメラを1から学ぶ「プラクティカル認定講座」を立ち上げ、新宿に教室をかまえる。創設3年で生徒数は380名を超える。
また、2011年より、テレビ東京「極嬢ヂカラプレミアム」にて、
“働く女の決意のヌード”企画にカメラマンとして参加。第一弾より終了した第五弾まで、
カメラマンとしてレギュラー出演し番組内でセミヌード撮影を行った。
若手俳優グラビア撮影経験により、ニコニコスターチャンネルにて放送中の
若手俳優トーク番組「生男ch」のMCを2012年10月より開始。現在は、派生番組である「内藤大希の秘密の会議室」もアシスタントMCを務める。